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2023年6月

6/1はSyrup16gのライブ&五十嵐隆の誕生日だったので休みを取って豊洲まで行った。今回は「HELL-SEE」の発売20周年記念ということで、セトリはCDそのまま。なかなか聴けない「パレード」が聴けたので大満足。自分の葬式で流して欲しい曲No.1で、シロップの中でも大分好きな曲。 6月1日はボーカル・五十嵐隆の誕生日であり、今年で50歳という記念すべき日だった。誕生日だからか、どこかウキウキしているように見えてなんだか嬉しかった。 シロップが解散し、五十嵐が突如「犬が吠える」というバンドを始めたと思ったらあっという間にそれも解散し、「生還」と題して実質シロップのライブをやり、そうして再結成までにいたる過程を見てきたいちファンとしては、「I’m 劣性」で「30代いくまで生きてんのか俺」という歌詞のところを「50代いくまで生きてんのか俺」と言い換えて歌っていたのがあまりに感慨深かった。

そういえば先日の日記で「BUMPとの出会いはフラッシュ倉庫」と書いたが、CMで天体観測を聴いて好きだなと思ったのが最初だったことを思い出した。天体観測を検索したらフラッシュ倉庫が出てきた、が正しい。ラフメイカーやらダンデライオンやらKはフラッシュ倉庫で知ったのだった。

6月3〜4日にかけて台風が来た。前日まで「台風が来てる」ということを全く知らなかった。夏はちゃんとニュースと天気予報を確認しておかないと、急に天気が崩れるから危ない。 台風一過でからっと晴れて気持ちのいい日が続いたと思ったら、6月8日には関東が梅雨入りしてしまった。これからしばらく偏頭痛と闘う日々になるのかと思うと憂鬱。雨のせいで余計にじめっとした地下鉄のホームで電車を待っていたら、家から通える範囲にあって、頭痛外来がある病院の広告がかかっていることに気がついた。Google Mapで近隣の病院はだいたい調べたつもりだったが、その病院のことは全然知らなかったので、駅のローカルな広告って効果があるんだなと思った。 梅雨入り後から、偏頭痛だけでなく毎日浮腫むのがつらい。四肢が重だるく、あまりにつらくて眠れない日があるくらいだった。行儀が悪いのは承知で、椅子の上に片足だけでも上げてないとしんどくて仕事にならない。着圧ソックスでも履けばいいんだろうか。自分は食事で塩分を摂り過ぎている自覚もある。

友人の誕生祝いで寿司を食べに行った。鰺と鯛がおいしかった。わさびが全然辛くなかったのでいい寿司屋だなと思った。 バンドの世代の話になって、我々は9mmとバクホンがド世代だよねという話をした。9mmを初めて観たのは仙台フォーラスの地下にあるCLUB JUNK BOXで、その次からはキャパ的にZeppになっていた気がする。あの頃は「大惨事目眩大戦 」と名付けられた対バンツアーをやっていて(今だったら炎上しそうな名前だな…)、今はなきZepp Sendaiで何度もライブをしていた。学校を休んでSCHOOL OF LOCK主催のライブで椿屋とビークルを観たのも、今思えばかなり貴重な思い出だった。

髪を整えに美容院に行ったが、席に着いたら訳が分からなくなってしまって、伸ばすつもりだったのにロングからミディアムくらいの長さになったり、インナーもオリーブ系を入れたかったのにピンクベージュを入れてもらうことになっていて、完全に自分のオーダーなのにどうしてこんなことに…と思った。たまにこうして生きづらさを思い出す。

気圧のせいで浮腫がつらいだけかと思い込んでいたが、発熱からくる関節炎なのでは?もしかして具合が悪いのでは?と気がついたとたん、しんどさが倍増したので病は気からだなぁと思った。あまりにしんどいのでインフルエンザかコロナか、と思ったが検査してもどちらも陰性だった。どうせ処方薬をもらうだろうからと市販の解熱剤は飲まないで病院に行ったのは本当に間違いだった。思いのほか診察から薬をもらうまでが長く、診察をうけて会計を待っている時にしんどさのピークが来てしまい、早くどうにかしてくれ…と思っていた。しかも処方してもらった解熱剤はさっぱり効かず、ずっと37〜39度をうろうろしていたのが本当につらかった。高熱は2日程度でおさまったけれど、37度後半の熱がだらだらと続いて、本調子になるまで結局一週間以上かかった。 こういうことをTwitterでうだうだ言っていたら、近所に住む友人がそれを見て救援物資をうちの玄関まで届けてくれて、あまりにありがたかった。

時々とても美しいものがあるから生きていけるし、思考も思い出も言語化しないと消えてしまうが、言語化できずにこぼれ落ちたものがあることは忘れないでいたい、と思うことがあった。